NHK大河ドラマ 八重の桜 第16回「遠ざかる背中」 あらすじ&感想 > 韓国ドラマ

Contents

韓国観光、エステ, ドラマロケ地ツアー、ソウルシティーツアー、 韓国テーマ旅行専門旅行社・ソウルツアー, 韓国人気スター KPOP



 

 

韓国旅行。ソウル・釜山などのホテル、エステ、現地ツアーの格安予約。グルメ・ショッピング・観光スポットのおすすめ情報。韓国, コリア

韓国ドラマ

NHK大河ドラマ 八重の桜 第16回「遠ざかる背中」 あらすじ&感想

View462

본문

クリック30.gifありがとうございます。ブログランキングに参加してます。68.gif
banner_br_sakura.gif

NHK大河ドラマ 八重の桜 第16回「遠ざかる背中」

べらぼうめ!幕府は長州に負けるんじゃねえ。己の内側から崩れていくんだ!勝に“カツ”を入れられてしまった覚馬。その言葉は大蔵の胸にも楔のように突き刺さり・・・、復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に楽しみつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!

NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
八重1604
歴史的事象がややこしくなってきたので、今回も少しだけ詳しいあらすじをどうぞ。
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第16話あらすじ
会津の大火のさなか、行方不明になっていたみね(豊嶋花)を尚之助と三郎(工藤阿須加)が見つけ出した。そして、みねを捜しに火元近くをさまよっていたうら(長谷川京子)を、尚之助(長谷川博己)が救い出す。みねの無事を確認し、涙するうらの姿を見た八重(綾瀬はるか)は、うらがどうしてみねを厳しく叱るようになったのか本当の理由を知る。うらは、覚馬が不在の間に甘やかして弱い子に育てたら、覚馬に申し訳ないと思い、自分の弱気を鞭打つために厳しい言葉をみねと己に言い聞かせていたのだった。 しかし、火事の修羅のなか大八車に轢かれそうな八重を庇おうと飛び出て行った尚之助は足にけがを負ってしまう。八重は尚之助を手当てしながら、たったひとりの大事な旦那様の存在を深く実感する。八重の涙に妻の想いを知った尚之助もまた、愛おしさがこみあげ、八重をしっかと抱きしめる。 

その頃、慶喜の長州征伐の出陣中止を受け、度重なる慶喜の二枚舌に会津本陣は揺れ動いていた。容保は藩士の動揺を鎮めるため、覚馬と大蔵を慶喜の居る二条城に遣わすが、そこには先客として勝海舟がいた。松平春嶽の推挙で、勝を使者に立て、長州と和議を結ぼうとする慶喜に、勝は、将軍不在の今、勅命を以て諸侯を集めてほしいと条件を出す。「勅命」の言葉に神経をとがらせる慶喜に 春嶽は「幕政政治はもはや限界、諸藩と共に政を行うべき」と進言し、慶喜はしぶしぶ承諾する。勝は直ちに長州説得に向かうが、去り際に城内で会った覚馬と大蔵にカツを入れる。約束を反故にした幕府にいきりたつ二人に勝は、幕府の屋台骨が劣化しているいま内乱を起こせば欧州列強の思うつぼで、全く世のためにならぬこと、德川一家の繁栄と日本国の存亡のどちらが重要か秤にかけてみろ!と覚馬に目を醒まさせる。だが、それでは都と幕府を守るために会津がやってきたことは何だったのかと思い悩む覚馬。

案の定、慶喜は今回も勝と春嶽を たばかり、将軍の喪に服すためという名分で、秘密裏に動き 長州に一方的に撤兵を命じる勅を朝廷に出させていた。諸侯を集め幕政を一新するという条件を蹴るための裏工作を知った春嶽と勝は、出し抜かれたことに大きな怒りを覚える。慶喜の真意を質そうとする容保に、慶喜は太平の世にあぐらをかいた幕府など一度つぶれた方がよい、と言い出し、将軍職を継ぎ、幕府を立て直す決意をしたから、将軍宣旨が下るまで京に留まり都を守って欲しいと容保に助けを求める始末。慶喜の言が本心かどうか眉をしかめる容保であった。
一方、会津の黒河内道場では、江戸屋敷でその才と美貌で評判だった中野竹子があらわれ、次々と国許の名うての女子を薙刀で倒していた。最後に対戦した八重も負けてしまい、才色兼備の上 薙刀まで強いことに驚く。八重が鉄砲を撃つことを知った竹子は、鉄砲はただの道具で、剣や薙刀こそ武士の魂がこもったものだと言い放つ。鉄砲を見下したように言われた八重は、このとき何も言い返せなかった事を悔しがり、竹子にライバル意識を抱くのだった。
 都では、ついに慶喜が将軍職を継ぐことが決まり、4年に及ぶ容保の京都守護職が解かれようとしていた。ようやく願いがかない安堵する容保。ところがその直後、喜びを打ち砕くように みかど崩御の悲報がもたらされる。

・・・ということで、次回は第17話「長崎からの贈り物」です。



第16話ぷち・ギャラリー
よがった~!!無事でいてくれて
八重1601
尚之助の活躍で、無事見つかったみねとうら
助けるつもりが、かえって厄介をかけることになってすみません
八重1602
良かった・・このままもどってこねぇような気がして、わだす、心細ぐなって・・・
だんな様だもの・・・たったひとりの、わだすのだんな様だもの!
八重1603
あれ?どうして泣くんですか? 
八重1604
(野暮なことを聞く尚之助)

<勝にカツを入れられる覚馬と大蔵>

いいか覚馬!日本は小せぇ国だ・・世界に目を向けてみろ!
いいか覚馬!世界に目を向けてみろ!内乱なんぞ起こしてたら日本みたいな小さな国は西欧列強に食いつぶされる!
内乱なんぞ起こしてたら、たちまち西欧列強に食いつぶされる!
勝「德川一家の繁栄と、日本国の存亡・・・秤にかけてどっちが重いかよく考えてみろ!」
・・・!! 目がさめる思いの覚馬
・・・!!   目がさめる思いの覚馬

<ライバル登場>

江戸屋敷で育った竹子と八重のナギナタ試合 
八重1610

八重をも負かし圧倒的に強い竹子
八重1611

鉄砲なんてただの道具!剣やナギナタとは違います!
 鉄砲なんてただの道具!剣やナギナタとは違います!

<暗いニュースばかりの京の会津藩士にも、慶び事が・・・>

梶原と二葉夫婦に男の子が生まれ・・・
八重1612
覚馬「赤子は饅頭の匂いがする・・・(笑)いや、命の匂いがする」

<らぶらぶだった帝と容保、さいごの邂逅>

「中将、近う」「はっ」  人払いをし、やっと容保と二人きりになれた孝明天皇
八重1613
もう、引きとめる訳にはいかぬな・・・
重い荷を背負った者同士、その苦しさを まことに分かち合えたのは、そなた一人であった
八重1614
会津から教わった・・・武士(もののふ)の誠は義の重きにつくことであると。
長い間誠を尽くしてくれてありがとう。
八重1615
・・・・!! ・・うっ 
第15代征夷大将軍に任命される慶喜だが
八重1616
そのわずか20日後

届いた突然の帝の崩御の知らせに、容保は・・・ 
八重1617



八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

幕府は年を取りすぎた。
見た目は立派な大木だが、中身はすかすかの洞(うろ)だらけ。
長州に負けるんじゃなく、内側から腐り、くずれていく老木・・・

的を得た海舟の諷示に、脳裏のどこか冴えた一点でしっかり受け止めながら、理性が認めるをよしとしない覚馬と大蔵。何百年と続いた幕府の体制が崩れる?
そんなこと「ならぬものは、ならぬ!」
刷り込まれた教えと価値観ーーいわば、自分の血に流れる会津のアイデンティティーを捨てることは、自身の命を絶つより辛いこと。少なくとも、それが武士であり、藩士の矜持であったように思う。

しかしながら、自己欺瞞と戦うことほど苦しく虚しいことは、そう無い。
覚馬はじめ会津藩士の一番の苦しみは、何と闘っているのかもよくわからぬまま、自分達のお役目に義を見出せばならないという矛盾との葛藤だろう。

欺瞞といえば、歩く二枚舌のような慶喜、今回もヤルヤル詐欺全開。
”余はもうそなたに担がれる神輿でない”の言葉通り、担ぎ屋の春嶽をも担ぎいでしまう老獪さ・・・
ラ・フォンテーヌの寓話集にある、「詐欺師を詐欺にかけることほど愉快なことは無い」という名言よろしく、華麗な裏工作が踊る、踊る。
単にきまぐれな暗愚の殿だったのか、孤高の権謀術策士なのか・・・おそるべし松平慶喜!

そんな慶喜の幕府のために、今後会津は命をも捧げて守るのだろうか。

守るのだろう、たぶん。 それが会津の忠誠心。

そしてもうひとつの忠誠心・・・孝明天皇と容保の最後の対面となった別れのシーンは、今回の一番の見せ場のように思う。
司馬遼太郎の作品にあった、『朕の會津藩』という帝の”愛”にも近い信頼が、ここでもひしと伝わるこの言葉。

我らは、重い荷を背負うた者同士。その思い、その苦しさを、まことに分かち合えたのは、そなた一人であった。
・・・会津に教わった。もののふの誠は義の重きにつくことにある、と。

朝廷のため、幕府のため、尽くせば尽くすほど泥沼に嵌っていくやるせなさも、
慶喜にさんざん振り回された挙句、いつも裏切られてばかりの憤懣やるかたない思いも、
みかどのこの ひと声で全て償われたような、かたじけなさに涙こぼれる容保。

しかし、この言葉が、今生の別れになってしまうとは・・・
容保にとって、眩しくキラキラ光る存在であるみかどは太陽、そして容保はその光で輝く月のような存在であったかに思える。守護職という立場で自分が守護したてまつっているように見えて この4年、幕府でも将軍でもなく、実に孝明天皇あってこそ容保・会津は輝き、守られてきた。

その太陽が沈んでしまったとき、月たる容保は・・・
翳りゆく時代の暗雲のなかを、手さぐりで、何を頼りに、どこに向かって進んでゆくのか・・・羅針盤をなくした船のような会津の心細さが暗にしのばれるシーン。

見事な演出だった。

しかし、それでも時代は動いている。
つきる命もあれば、生まれくる命も。

先込め式銃だ、元込め式ライフルだと新しい武器に無我夢中になって人々が殺し合いに明け暮れている間にも、新しい命は 生まれてくるのだ。

生まれてきた二葉の赤ん坊・・・見えない覚馬の目に、鋭くなった嗅覚が心の目を醒まさせる。
赤ん坊は、まんじゅうの匂いがする。

いや、いのちの匂いが、する・・・

進む眼病に、異国にはもう渡れないと悟った覚馬。闇が迫っている。
でも、もっと恐ろしい闇が、歴史の歯車を押しやりながら、会津を呑み込もうと そこまでやってきているのを、このとき覚馬は気付いていただろうか。

今では遺訓となってしまったみかどの ”壊すことよりも、守り続けることのほうが難しい”その苦しさを,これから心底あじわうことになる会津。

慶びと昂ぶりと悲劇の予兆が、歌うように交互する 16話だった。




  八重の桜252.gif252.gif252.gifかると  ~ 八重の桜 当時の武器について ~


     弘法大師      ならぬことは、ならぬ!のシャア

                  ”腕と人海戦術で勝てんべ”神保内蔵介
                  くらのすけのオサーン
                      ご家老、古すぎっ



「長州の武器は、このミニエー銃にごぜいやす。ゲベール銃どは格段の差がありやす」

こんなとき、過去においては”弘法筆を選ばず!”と諭され、未来に於いては赤い彗星が「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差でないということを教えてやる!」と叱咤するのだろうが、武器性能や殺傷レベルの違いがそのまま勝敗を分けてしまうのは、悔しいが当然の結果。
鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争でも、武器(主として鉄砲)の性能の差が勝敗を分けたと言われている。

15話で覚馬の手紙にもあったように、第二次長州征伐では、長州側の銃はことごとく命中、幕府軍の弾は敵に届きもしないありさま・・・やはり武器の性能の違いがこれほどまでに露骨に勝敗を分けた時代は日本になかったように思う。薩摩など とうに軍制改革に着手していた十年前ですら、武士の戦は弓、槍、刀だと固執していた会津、すべてが出遅れていた。
 
そこで、幕末の彼らはどんな武器を使って戦ったのか、どんな武器が時代の勝敗を分けたのか、
知りたくなった。


戊辰戦争で使われた、おもな銃の種類
主な銃の種類
上よりゲベール、国産ゲベール、エンフィールド、スナイドル、スペンサー銃


戊辰戦争で使用されたおもな銃の種類

・火縄銃(前装式滑腔式、戦国時代以来の銃)
・ゲベール(前装滑腔式、命中精度が低い)
・ヤーゲル(前装施条式、白虎隊が装備)
・ミニエー(前装施条式、椎実型弾、主流)
・スプリングフィールド(ミニエーの一種)
・エンフィールド(ミニエーの一種)
・スナイドル(エンフィールドを後装式に)
・スペンサー(後装式連発銃、八重が使用)
・シャスポー(後装施条式、伝習隊が装備)

ドラマのナレーションでも語られたように、アメリカ南北戦争の終結で、不要となった様々な兵器が、欧州の武器商人を通じアメリカから大量に戊辰戦争前後日本にもたらされていた。性能の変遷としては、内側ツルツルの「滑腔式」からライフル(らせん状の溝)を刻んだ「施状式」へ、また銃口から弾丸を押しこめる「前装式」から後方に弾を装填する「後装式」へと銃は進歩していった。
第二次長州征討戦争で、勝敗を決定づけたのは、幕府のゲベール銃の3倍の飛距離があるミニエーだったが、16話で覚馬がそれに勝る銃として、求めたがっていたのは ライフルを刻んだ、元込め式のスナイデル銃だった。


                         右)八重の七連発スペンサー銃。射程:700~820m 
下はその派生銃        八重たんスペンサー銃
ミニエーから派生した銃                スゴイ!!ミニエーより飛ぶんだなし!!
(上)1863年式スプリングフィールド銃
(下)1861年式エンフィールド騎兵銃


幕末に導入されたおもな大砲
幕末には、大砲も積極的に導入された。しかし、当時の野戦砲は、ほとんどが前装施条式で、絶えず発射するためには最低8門の砲を必要とし、その点、佐賀藩が有した後装施条式である「アームストロング砲」の機能は、群を抜いて優れていて、上野戦争や会津戦争で威力を見せつけたという。
そのほか薩英戦争で薩摩藩が使用した前装滑腔式の「カノン砲」、長岡藩家老の河井継之助が使用した機関銃の前身「ガトリング砲」などが、幕末の大砲として知られている。



アームストロング砲             対          八重の四斤砲
アームストロング砲 佐賀藩が所有し、会津戦争でも威力を発揮。群を抜いて優れていた 壊れた四斤砲
佐賀藩が所有し、会津戦争でも威力を発揮。群を抜いて優れていた


四斤山砲とその砲弾                戊辰戦争で実際使われている弾
四斤山砲とその砲弾


鶴ヶ城の攻防戦に於いて、つい先々週の4/14日、ロケが行われたという大手門(北出丸)最新鋭の七連発スペンサー銃を持って戦った八重。会津の精鋭部隊は国境の警備に遠征していたため、城内には老人の玄武隊、少年の白虎隊のほか婦女子だけ、しかも武器は火縄銃などの旧式のものばかり。
しかし八重は進撃してきた土佐藩の隊長を次々と狙い撃ちして、次に砲車を引いてきた薩摩の二番砲隊頭の大山弥助(のちの陸軍卿で、山川大蔵の妹を娶ることになる大山巌)の足を貫通させたという。
さらに八重は城内にある四斤砲を運ばせて瞰射しはじめ、会津軍の精鋭部隊が帰城するまで持ちこたえさせ、新政府軍を城郭まで後退させた。最大の危機を救った八重の活躍は、当時の近代兵器である銃や大砲を最大限に活用できた手腕によるものといえよう。



洋式調練
銃器の性能が戦場の勝敗を決するようになり、それに伴い、個人の技量ではなく訓練による歩兵の組織的な動きが重要視され、銃の操作だけでなく、洋式調練は必須であった。
第二次長州征討の敗戦後、慶応2年(1866年)8月以降、将軍徳川慶喜の下で再び大規模な軍制改革が行われる。当初はオランダ陸軍を模した教育も、次第に海軍がイギリス式、最終的にフランス軍事顧問団による教育が行われることになり、1866年に伝習隊の編成が行われた。フランス人教官の不足から、伝習隊の一部は日本人教官による指導を受けていた。ロシア留学を経て攘夷の非を悟った大蔵は、フランス式調練法も学び取り会津に帰り指導する。

しかしながら、銃器の性能が戦場の勝敗を決するようになり、武士の存在意義もまた、失われていった。銃は、武士の時代の終焉の象徴といえるのかもしれない。


幕府のフランス式調練 
幕府のフランス式調練 大蔵が会津に持ち帰り指導
大蔵も会津に持ち帰り指導

会津のガオレンジャー、伝説の会津彼岸獅子すがたで入城する山川大蔵
会津彼岸獅子  玉鉄大蔵
今回16話でオロシアに旅立つ山川大蔵。プロシア、フランスと、沢山見聞をひろめてきてくなんしょ





誇り高き会津の女武士 娘子隊(じょうしたい)と 中野竹子

「鉄砲なんてただの道具!もののふの魂が籠る、剣や薙刀とは違います!」
この言葉が竹子のメンタリティーそのものであったように思う。

女も武士(もののふ)として戦った、会津の娘子隊の中心的人物だった竹子とは、
どんな人物だったのだろう。

          黒木メイサさん演じる竹子              中野竹子
        中野竹子 黒木メイサさん演じる竹子       中野竹子



中野平内の長女として江戸の会津藩上屋敷に誕生した竹子は、幼い頃から聡明で、学問に長じ、在原業平と紫式部の才気に小野小町の器量を足した才色兼備の女性として、「会津はだしの中野の娘」と謳われた女性。
竹子がどんなに美人だったかというエピソードとして、当時、混浴だった銭湯に行かず竹子が家で湯を沸かし体を拭いていると、竹子の裸がみたくて若者たちが覗きにくるので、薙刀で斬りかかったという話がいまも残っているそう。
また、薙刀(ナギナタ)の腕前は免許皆伝の域に達し、のちに会津若松城下に戻り、学問や薙刀を教える。戊辰戦争の際には女性だけの「娘子軍」を結成して奮戦するも、柳橋付近で敵の砲弾に被爆。

”鉄砲と違ってもののふの魂が籠ってる”と言い切った 薙刀と一心同体のような竹子、しかし、やはり近代兵器の前には「刃がたたない」ことを「身を持って知った」ときは既にとき遅く、瀕死の竹子の首を敵に渡さないため、母と妹の解釈によって命を果てたという哀しさ。
竹子の戦死後、母の中野孝子は、八重のもとにかけより、「あなたがどうしてわたくしどもの娘子隊に入らないのか、卑怯者のように思っていましたが、鉄砲に薙刀はかないません。ようやく自分の娘(竹子)が討ち死にしてから悟りました・・・これから何日籠城するか解りませんが、下の娘(次女優子)に鉄砲を教えてください」と頼んだという。
哀しいかな、鉄砲を嗤うものは鉄砲に死す・・・ではないが、当時の会津藩士は鉄砲など野蛮人の兵法だと侮っていたから、八重の兄覚馬がどんなに洋式銃による兵制改革を進言しても、聞き入れられなかったのも頷ける。



「会津戦争記聞」より
鶴ヶ城城下で奮戦する女性たちが描かれた絵図。中央の女性は中野竹子。「会津戦争記聞」より
鶴ヶ城城下で奮戦する女性たちが描かれた絵図。中央の女性は中野竹子。


竹子については、様々な伝説があるが、中でも、戊辰戦争の際 家老の萱野権兵衛が「さすがに、婦女子までは戦闘に駆り出させない」と発言したとき「ならばこの場で自決致します!」と決死の覚悟を吐露し、その熱誠に打たれた家老権兵衛は折れ、女子たちが戦闘に加わるのを許したという話は、きっと八重の桜でも映すであろう(映してほしい!)熱いエピソードである。

会津では、女も武士だった、と言われる所以は、こんな逸話から来ているのかも。
じっさい”会津”と聞くと、新島八重よりは「竹子」と思い浮かべる人は未だ多いと言う。
男性が前線で戦っていた時代に、"戦う意志"を持っていた八重と竹子。
薙刀と銃、使う道具は違っても、2人には同じ会津のメンタリティーを持つものとして響きあうものが必ずあったと思う。
竹子を演じる黒木メイサさんが「単にライバル同士、というのでなく、二人の相通づる部分を、見ていって欲しい」と語っていたのが印象的だった。

竹子が戦死したとき、その薙刀には、彼女の決意をあらわした歌の短冊が結び付けられていた。
「もののふの 猛き心に くらぶれば 数に入らぬ 我が身なれども」

詩作の才からよく竹子が例えられた在原業平の辞世の句を、ここで引き合いに出すのは無粋だが、一寸思い出してしまった。
「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを」
(せめて2日前に今日死ぬことが分かってればもっとマシな辞世の歌が考えられたのに)
・・・という業平の平安な世界での往生ざまと、竹子の戦国の世の散りざまは、天と地ほどの開きがあるような。
時代精神、とまではいかないが、辞世の美学・・死にぎわの美学という時代の価値観をひもとく上で、こころに響く会津女性たちの歌は欠かせないように思う。

武士がもっとも武士らしくあった会津藩において、女たちも誇り高き存在として光り輝いていたことの証である、と。



美雨


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


最後までありがとう
竹子と裕子
会津娘子隊 竹子と優子姉妹


★このランキングに参加しています★ポチポチっとしてくなんしょ♪(>ω<)★(←会津語)
a_03.gifにほんブログ村 歴史ブログ 世界史へにほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ人気ブログランキングへ


Comments

No comments.


Statistics

Today
220
Yesterday
389
Max
706
Total
329,484
【ソウル】初めてのソウル観光必須コース(1泊2日) 地下鉄で行くソウルの旅

ブログ記事収集プログラムにより自動的に収集されたブログです。全ての記事に対する著作権は該当作成者にあり、表示を望まれない場合、メールでご連絡いただければすぐに削除させていただきます。

Visit Korea 韓国旅行情報 韩国旅游 韓國旅遊 ソウル市観光公式サイト Go Top