NHK大河ドラマ 八重の桜 第17回「長崎からの贈り物」 あらすじ&感想 > 韓国ドラマ

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NHK大河ドラマ 八重の桜 第17回「長崎からの贈り物」 あらすじ&感想

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NHK大河ドラマ 八重の桜 第17回「長崎からの贈り物」

夢の国長崎で、世界の風を感じながら遊学時代のアカデミズムに浸る覚馬。だが闇はそこまで迫って・・・
復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、
共に楽しみつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!

NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
八重17話
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第17話あらすじ
孝明天皇の突然の崩御により、会津への帰国の機会を失った容保(綾野剛)ら会津藩士たち。そのころ、覚馬(西島秀俊)は長崎の医学所「精得館」でオランダ人医師による眼の診察を受けていた。そこでも近く失明することを告げられぼう然とする覚馬。精得館の図書館には洋書がずらりと並び、最先端の西洋医術と器具、舎密術(化学)のラボラトリーが揃い、そのアカデミックな世界に覚馬は江戸遊学時代の象山塾の空気を思い出さずにいられない。
しかし自由な解放感が快い反面、公儀の取り締まりが及ばぬ長崎で、禁を犯し薩摩が長州に名義を貸して武器を横流ししていることを突き止める。長崎で最大手の外国商会のグラバー亭はもはや薩摩藩の根城で、じっさいに武器商人グラバーが長州の伊藤博文と薩摩の村田新八と親しげに談笑するのを見てしまったのだ。
折から長崎にも天皇崩御の知らせが届き、覚馬は急ぎ新式洋銃の買い付けに奔走しなければならなかった。失明のときが迫っているのだ。グラバー商会に割り込めない会津藩としては、新参の外国商人から薩長のものより優れた銃を買いつけなければならないのだが、プロイセンの商人レーマンにいきなり旧式の銃をふっかけられ喧嘩になってしまう。
一方、会津では 洋式調練修行を願い出た八重の弟・三郎(工藤阿須加)が江戸の修行生に選ばれ、山本家は久々に明るい笑いで沸き立つ。難が転じるまじないに三郎の着物に南天の刺繍を施しながら、いつの間にか広く大きくなった弟の背中に愛おしさがこみあげる。そして三郎は八重の心づくしの着物をまとい、笑顔で旅立っていくのだった。

失明のときを畏れて 焦りばかりが募り、交渉をぶち壊してしまった覚馬に、神保修理(斉藤工)は 眼だけでなく五体を全てをかけて殿と藩に尽くせること、銃を知るその手と魂を会津の為に使って欲しいと告げる。心に響く修理の言葉に目が醒めた覚馬は、レーマンに先だっての非礼をわび、レーマンの故郷プロイセンから、薩長のミニエー銃よりはるかに優れた新式のライフル・チュントナーデルを千挺買い付けることに成功する。
無骨だが実直で勤勉な会津藩士たちは精得館でも信頼を得、長崎を去る日 医師ボードウィンからはエールを贈られ、レーマンからは覚馬に友情の証のスペンサー銃が贈られた。
 
秋風の吹く頃、京に戻った覚馬から会津の山本家に、長崎のみやげの荷が届く。父にはワイン、うらとみねにはビードロや色とりどりのリボン、そして八重夫婦に宛てられた小さな木箱には、レーマンからのスペンサー銃が入っていた。軽く小さな銃にも拘わらず七連発でき、その確かな性能に八重(綾瀬はるか)は感動するが、尚之助(長谷川博己)はどこかうかない顔だ。これだけの性能の銃を西国諸藩が大量に買い入れているなら、戦の火種はもはや長州だけではない・・・覚馬が帰れないのも頷ける。尚之助はまた、三郎が江戸に発つ前の日に「小田山から城がよく見えた」という言葉が気になっていたのだ。つまりは、敵からも丸見えという事だ。尚之助は地図を広げ白河関を指差した。冬が近づいてからでは遅い。守りを固めなければ・・・こうして次の日、尚之助は八重と共に 前途十八里の旅路につくのであった。

・・・ということで、次回は第18話「尚之助との旅」です。


第17話ぷち・ギャラリー

チュントナーデル銃、これを1000丁整えてくれ!
八重1704
レーマン「何を馬鹿なことを!プロイセン軍が第一線で使う銃ですよ?」
もうじき見えなくなる・・・せめてその前に薩摩、長州に劣らぬ銃を買いてぇ
八重1705
そうでなければ、俺はただの足手まといだ!
たとえ目だけ失ったとしても、覚馬さんには、銃を知るこの手がある
八重1706
学んだ知識や身に浸み込んだ魂を会津のために使えばいい・・覚馬さん、しっかりしっせい!

<三郎の門出>

難が転じるようナンテンの刺繍を三郎の着物に縫い付ける八重
八重1709
行ってまいりやす
八重1712
ナンテンの刺繍を・・・
八重1711
行ってきなんしょ。気ぃつけてな・・・!
八重1713

<半年間多くを学んだ長崎をあとにする覚馬>

会津への信頼の証、銃のことよく知っている人に使ってもらいたい
八重1715
レーマンより個人的にスペンサー銃をプレゼントされた覚馬


<慶喜、今日のヤルヤル詐欺>

容保がやっと一年間だけ国許に帰れる約束をとりつけたもつかの間、また二心殿の病気が・・・

慶喜「容保、よき跡取りができたな」
八重1717
容保「ハイ、これでそれがしの名代として京都の守護を預けられまする」(ちょっとやな予感)

なあ・・そこなんだが容保・・・ 先の帝の志はどうなる?(ネチッとにじりよる慶喜)
八重1718
われらを厚くご信任されたご先帝に対しあまりに不忠ではないか?やっぱここにいろよナ「・・・!!」

<藩士同志のなさけ>

覚馬さん、こんな時だけんじょ、一度国元に帰ってはどうでしょう。
八重1719
娘御に会っておいでなさい、それができるうちに・・!
俺も、この目で会津が見てぇ。赤ん坊の時に生き別れた娘の顔も。そう思っていたけんじょ
八重1720
殿もお帰りにならないのに俺ひとりだけ都から離れるわけにはいかねぇ。今は会津のために働く時だ

<覚馬から届いた、長崎からの贈り物>

こういった銃はじめて見る
八重1721

ズガァァーン!! 早速スペンサー銃を試し撃ちし・・・
八重1723
まごどに良い銃だなし・・撃ちやすぐて、よぐ当たる

<尚之助の予感>

三郎さんが、良い眺めだと言っていましたが、つまり敵からも城が丸見えだということです
八重1723a
冬が近づいてからでは峠越えは難しい・・・いますぐ発たねば

心の中;まさか本当についてくるとは・・405.gif「白河まで一緒に行く気ですか?」
八重1724a
山道なんてへっちゃらだし
険しい峠をいくつも越えるんですよ?本当に知りませんよ443.gif
八重1725
尚之助さまこそ♪


八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

今日は覚馬劇場ではないかと思えるほど「歴史ドラマ」よりもヒューマンな ストーリーが光っていました。
こんな回もいいですね。

会津のメインだけでも若松、京、長崎と舞台が分かれて散漫しがちなのに、薩長や土佐の動き、岩倉のせまりくる陰謀なども織り込みつつ みかど崩御が各藩・各人に何を意味するかをテーマに繋げて展開していくところなど本当に見事な脚本でした。
グラバー邸の伊藤俊輔・村田新八の遠景、西郷の口から、名前だけの中岡・・・坂本竜馬はてこでも出さないようです(笑)が、板垣はしっかり登場させる。この辺の人物の線引き&登場プランがきちんとあることを感じさせてくれるところも、山本むつみさん脚本 グッジョブです。

また、実は長かった覚馬と修理の長崎留学(兼武器取引)期間も、あれだけの分数で留学の充実ぶり凝縮して表すなど、並みの脚本構成では至難の業です。最近のNHK大河=陳腐か突飛でつまらない、と決めつけていた分・・・あのルイーズちゃんのポッペンでポン!と頭をはじかれた気が・・・反省です。
ポッペンもそうですが、照姫の松酒や八重の南天刺繍のような小道具を効かせて心情を醸し出す、女性脚本家らしい、細やかな手法もオツですね!

夢のくに長崎のまぶしき日々。
手作りの麦酒や洋装の試着など、異国情緒あふれる長崎での体験が、近く 光を失う覚馬の最後の輝く光景となって瞼に残っていくだろう伏線が、修理の心に響く言葉と共に哀しく映ります。
グラバーと薩長の親密さを目の当たりにして、彼らとのいくさがより具体的になってきたのも、今後のドラマの展開として、遠近両方の伏線が巧みに張られていました。

ボードウィンと言えば大村益次郎を手術した蘭医で有名ですが、覚馬は あのボードウィンから眼の治療を受けていたのですね。そんなエピソードが幕末を彷彿とさせます。

覚馬の総髪と、手紙の文字の乱れにになったことから日常生活に差し障ってきていることが見て取れ 切ないところですが、八重たち家族もそれに気付かないのがもっと悲しい・・・スペンサー銃を八重に送ったことで、図らずも尚之助に今の情勢を悟らせましたが、鉄砲マニアの兄がどうしてこんな最新式銃をポンと八重によこしたか、そこまでは勘の鋭い八重でも読み取れなかったのでしょうか。

武器商人レーマンの娘ルイーズを、みねに重ねて可愛がる覚馬・・・親子の想いは世界共通なのですね。彼女も覚馬になついて、レーマンとの距離をぐんと縮めてくれた。今日の立役者はルイーズちゃんでしたね。

そして、藩士同士の情けと、支え合い。
修理に諭され、目が醒めた思いでレーマンに頭をさげた覚馬を見て、一緒に低頭する春英と修理。
国禁を犯して神戸でレーマン銃の商談事に加わった家老土佐がコンプライアンス違反を殿に懺悔したときも、一緒に平身低頭する梶原平馬たち。

理不尽なことだらけの京勤めも、こんな頼もしい仲間がいればこそ、耐えてゆけたのだ・・・
「眼だけしか、ないのですか?私は五体で殿にお仕えしております」
会津の侍らしい、修理の熱い言葉・・・覚馬と同じく、泣けました。

五体といえば、そう、慶喜は、これから八面六臂の大活躍をしていくんですね。
これでもかと慶喜に振りまわされる、会津・容保。
ここまで来ると、もうボケとツッコミの かけあい漫才的な様相を呈してきましたね。
次はどんなヤルヤル詐欺をかますんだ慶喜?となかば楽しみになってきたり・・・(苦笑)
容保の殿にはお気の毒ですが・・・

しかし、以前、真木和泉や三条実美らの謀議の際かかっていた怪しげなライトモティーフ(BGM)が、ついに慶喜のテーマmusicになったときは、家族で思わず爆笑しました。
ついにダーク・キャラに転身?
慶喜は司馬遼太郎に言わせると、賢いゆえにいろんなことが見え過ぎるというけれど、あとさき考えずにその場その場でとる選択は、コロコロと手のひらを返したとしか、他には映らない。朝令暮改は現代の時計の針でこそ通用するけど、この時代は「義をつらぬく士」の長に思えない。ここが会津との違い。皮肉だが、維新 と近代国家にとって
「最後の将軍」は、確かにこの人にしか勤まらなかったかも?と思う回でした。

さて、われらが八重さん、最近ぐんと奥さまらしさが香って、艶が増してきましたね。
男勝りは変わらずとも、南天の刺繍に込めた想いも女性らしい細やかさが会津女性を偲ばせます。  照姫さまの言ではないけど、「会津のおなごらしく、優しく、いさましくありましょうぞ」を絵に描いたような八重・・・強さとしなやかさが同居する、竹のような八重をみていると、大蔵が「あなたは会津そのものだから」とありったけの愛をこめた言葉を思い出します。娘時代と差別化し、たおやかさがにじむ「人妻として」の八重を演じ切るはるかさん、さすがです。

こんな笑顔が、ずっと続いてほしい・・・会津のみなが平和に暮らして欲しい・・・

けれど、もう帝はいない。
孝明天皇崩御は会津にとってとどめのようなクライシス。
永遠に遠ざかる背中。
加えて、肝心な時に秋月がいない・・・覚馬が見えない。
激突するパラダイム変化と近代化にいやおうなく 飲み込まれて行く日本。

都のかなめ石が外れ、鎮めていたものが湧き出てくる・・・暗雲せまる18回でした。




       八重の桜252.gif252.gif252.gifかると 
          ”会津七口”と小田山の大砲戦について



「万が一の話ですが、会津は奥州への入り口・・・守りを固めるに越したことはない。
白河、越後、日光、米沢、二本松、大きな街道が五つ。一番の要所は・・・」

尚の助の言葉が、未来への伏線のように痛みを伴って耳に響いてきた今回のエピソード、”万一”が”万一”でなくなってしまうとき、会津に悲劇が訪れたのですね。

そこで、調べてみたくなりました。


尚之助「ウナギ犬くん?会津七口をちゃんと おさらいするんですよ」                    八重1727a
                               尚サマのお手々↑
                              

1868(慶応4年)8月、新政府軍が迫る中、会津藩は早い時期から国境に部隊を派遣し守りを固めていましたが、「会津七口」といわれるほど会津に入る道は多く、そのうち最重要ととされた白河口を通過されてしまいます。8月21日、母成峠から侵攻した新政府軍はついに守備を破り、会津城下に迫りました。
ちなみに、「会津七口」とは北から時計回りに 檜原口、中山口、太平口、白河口、日光口、叶津口のようです。
難攻不落と言われた堅固な城ですが、立地的にも不利なロケーションにあり、また、今回、三郎の言葉からピンときた尚之助が案じたように鶴ヶ城がまる見えの小山が有り、会津藩の内通者が、西軍(新政府軍)に、城を攻めるのに地形上優れている場所を漏らしてしまいます。


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小田山の西軍砲陣跡、登ってきました
灯台下暗しで、見慣れた景色の町に住んでる会津っ子よりは、よそ者だからこそ鼻のきく尚之助、三郎の「小田山からよく城が見えた」の言葉に不吉な予感を覚えたことが、現実となってしまう皮肉・・・
その激戦の舞台、小田山に登ってきました。


鶴ヶ城、天守閣から見た小田山 たしかこのあたりが会津を攻めた西軍砲台跡
小田山城



戦国時代、蒲生氏の城があった小田山 市街の見晴しは最高。城もよく見えます
戦国時代、蒲生氏の城があった小田山 市街の見晴しは最高。城もよく見えます


新政府軍は現地の内通者の情報をもとに、鶴ヶ城を眼下に望む絶景の砲撃ポイント・小田山に砲陣を設け、8台の砲台を設置しました。組立式で、分解して運ばれたこれらの大砲は、どれも鶴ヶ城の天守閣の方向を標的にしていました。 大砲の射程距離は1500m、天守閣までは1360mありましたが、十分城内に届いたのです。なかでも佐賀藩の所有したアームストロング砲はこの戦争において最も威力を発揮したと言われています。それでも当初は天守閣まで届きませんでしたが、薩摩藩の大山弥助(巌)が放射角を調整して命中するようになったといいます。(国土地理院の地形図から測定だと1600m)
皮肉なことに、のちに大山夫人となる幼い山川捨松は、城中で大山が指揮する西軍の砲撃に怯えていたわけです。このとき籠城戦に加わっていた八重は、夫の川崎尚之助と共に城南にあった砲台から小田山の砲陣へ反撃し、敵に打撃を与えています。八重はまた、北の丸から銃で大山弥助を狙撃し、その弾は右股を貫通したと言われていますが、このドラマではどのように描かれるのか、楽しみのひとつでもありますね。


(今度は逆に)小田山・砲台跡から撮影。雨で視界がかすんでもお城はよく見渡せます
鶴ヶ城01
この日は雨で曇っててごめんなんしょm(__)m

                     お城ズーム!
            ちょっとズーム! レンズに水滴ついてます


150年前、この場所から西軍がこんなふうにお城に照準を定めて大砲をボンボコ打ち込んだと思うと、胸がずきんと痛む思いでした。でも実は西軍はヘタっぴいで、こんないいロケーションに8/25日に設置して以来、何日も放射角ズレズレ、なかなか天守閣まで届かなかったんですよネ。反して八重は、薩摩・鍋島・土佐はじめ6藩以上の砲陣を相手にお城からこの西軍砲台めがけて旧式の四斤砲で百発百中、さすがは砲術指南の娘!一時はこの小田山西軍を撤退させ、9/16まで凛と持ちこたえます。
おりしも美雨の登山中に涙のような雨・・・山の頂上につくと大砲のような遠雷が轟き、まるで時空を超えて150年前のこの日この時にワープしたような天の演出に、しばし感無量でした。けれど、さらに慶山・舘、城下外郭に16門もの大砲を続々と持ち込まれ立て続けに一斉砲撃された落城前の三日間は、この雷鳴の比ではなかったでしょう。この日、明け渡された鶴ヶ城の涙のような雨が、まるで私達に語りかけるように、さめざめと降り続けたのでした。(涙)





235.gif美雨のぷち・八重の桜紀行その⑦
              八重の故郷、会津若松
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鶴ヶ城と飯盛山 つわものどもが夢のあと

満開の桜・・・鶴ヶ城が一年で一番美しい日に訪ねることができました
^^今年、鶴ヶ城が一番美しい日に訪れることができました

梅と桜が同時に咲く会津・・・ああ、東北なんだなぁ、と実感
梅と桜が同時に咲く会津・・・ああ、東北なんだなぁと実感。
去年、赤瓦にリニューアル。150年前当時の色そのままにお化粧直しして、再デビュー

<飯盛山で毎年同じ日に行われる白虎隊士の慰霊祭>

どうしても見たかった・・・間に合いました!

白虎隊と同世代の、会津高校剣部会の生徒による白虎隊の舞い 一糸乱れず、見事な舞いでした
白虎隊と同世代の、会津高校剣部会の生徒による白虎隊の舞い 一糸乱れず、見事な舞いでした

主将の謡いに合わせ、みごとな剣舞を披露する、現代の白虎隊士19人
主将の謡いに合わせ、みごとな剣舞を披露する、現代の白虎隊士19人


後ろ中央に見える円柱は85年前ローマ市から寄贈されたもの。白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市が、ポンベイの遺跡から出土した宮殿の柱に「白虎隊士の遺烈に敬意を表し、古代ローマの権威を表すファシスタ塔章の鉞(まさかり)を飾り、永遠偉大の証たる先年の古石柱を送る」と刻み、武士道の精神に贈ったもの。
戦前、ヒトラーと共に権力を振ったファシスタ党の権力者ムッソリーニの時代だからこそ出来たことだそう。今ではとんでもない貴重な世界遺産の円柱をよく惜しげもなく・・・すごいことです。これも時代の遺産ですね。
この日は、TV局はじめ沢山の報道陣が撮影にきていました。


戊辰戦争のさなか、この水洞窟をくぐって飯盛山へたどりついた白虎隊士たち
この水洞窟をくぐって飯盛山へたどりついた白虎隊士たち
清冽だがあまりの水の冷たさに、隊士達の苦労と勇気を思います(涙)

中央の墓は、八重の桜でもおなじみ、伊東悌次郎。八重の鉄砲の教え子でもあった
中央の墓は、八重の桜でもおなじみ、伊藤悌次郎。八重の鉄砲の教え子でもあった
白虎隊の悲劇に関しては、またいずれ・・・


<会津のピサ斜塔といわれるさざえ堂>  

この向かいの寺にも白虎隊士達の霊が祀られています

世界に一つしかない構造  江戸時代の建築
会津のピサ斜塔といわれるさざえ堂。入口と出口が違う・・同じところを通らない不思議の構造 必死でささえてる人が・・・(笑)
入口と出口が違う・・同じところを通らない不思議。右下に必死でささえてる人が(^o^)

「八重の桜」オープニングで映る、会津の五桜のひとつ、名物の石部桜  
会津の五桜のひとつ、名物の石部桜 から飯盛山を臨む 山裾にはさざえ堂が
飯盛山を臨んで 山裾にはさざえ堂が



<白虎隊慰霊フェスタでお知り合いになった猪苗代藩士たち>

慰霊祭は十時半からだったのですが、白虎隊士の登場を待つ間、たまたまお隣でご一緒した会津の人達に、会津の貴重なお話を聞くことが出来ました。歴史に造詣が深く、大変な物知りでいらっしゃり、八重の桜に関する事だけでなく、幕末の歴史を、会津の視点からお話しいただいたのが印象的でした。
また、リアル会津の人でないと知りえない(?笑)、容保公のご子孫の楽しいエピソードなど(^o^)・・・会津のお殿様と藩の人々の温かいふれあいは、いまも時代を越えて生きているのですね。

会津によく来らったなし 猪苗代も是非訪ねてくなんしょ 
猪苗代の名士さんたち
現代の玄武隊士、知的で優しい会津イケメンでした❤(許可を得て撮影・掲載)


お話ししていて、大変知的で、どこかやんごとなき風情を感じていたのですが、郷土史理事や山岳会の会長、野口英世記念館の学芸員の方達でいらっしゃり、観光客が真っ先に訪ねる土津神社(会津公の始祖・保科正之の祀られる神社)でいただく「保科正之公の史跡を訪ねて」というガイドマップを書かれた方々でした。
県の認定するツーリズムガイドでもあられるので、ブログをご覧になっている皆様、ふくしまにお出かけになる際はぜひ、お問い合わせされてはいかがでしょうか。^^
猪苗代名士の方々なのに、飾らない気さくなお人柄に、会津の優しさを感じました。


いただいた言葉
会津藩は婦女子にいたるまで一丸となって武士道・義を
貫いた最後の藩だと思います。

歴史を考える」敗者の風景で
司馬遼太郎氏は「日本の幕府の崩壊期に会津藩という存在がなければ
日本人なんて信用できませんね、会津藩があったればこそ、
われわれ同民族をちょっと信用できる、という感じがあるんです。」と
言っています。 
       猪苗代の偉人を考える会・会長江花さまより



会津には「三度泣き」という言葉があるそうですが、旅のなかでふとその言葉を思い出しました。
最初は 会津の頑固さに泣き、次にその人情の深さに泣き、最後は会津を去り難くて泣く、という言葉です。
芦ノ牧、猪苗代、若松、東山・・・多くの現地の方達とふれあうことが出来、心に沁みる言葉をいただきました。「がんばろう東北、頑張ろう福島」という声はむしろ、応援者の私達に向かって、優しく逞しい福島の方々から「がんばろう日本」と響き返された気がします。

うつくしま、ふくしま。 素晴らしい旅でした。



美雨


八重さんの結婚式で出された、あこがれの”こづゆ”(メチャ美味しい!)
八重さんの結婚式で出された、あこがれの”こづゆ”
今日も最後まで読んでくれてありがとう^^


「八重の桜」1話~17話あらすじ&レビュー
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


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